ヘルシンキの世界遺産・スオメンリンナ島の観光とアクセス

このページでは、ヘルシンキにある世界遺産「スオメンリンナの要塞」の概要や行き方を紹介します。

基本情報

スオメンリンナの要塞は、ヘルシンキ市内の6つの島にまたがって築かれた海上要塞です。

要塞は当時スウェーデン領であったフィンランドで、ロシアの勢力拡大を防ぐために1748年に築かれました。その後19世紀にロシアの支配下となり、100年以上にわたって海軍基地として利用されました。

フィンランド独立後の1918年、現在の「スオメンリンナ(Suomenlinna)」という名称に改称されました。

戦略的に重要な立地と堅固な構造から「北のジブラルタル」とも称され、ロシア・スウェーデン戦争やクリミア戦争など、数々の紛争において軍事拠点として活躍しました。

1991年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、この場所はヘルシンキ市唯一の世界遺産です。(2025年6月現在)

要塞であったスオメンリンナ島内には散策路が整備されており、歩いて観光できます。

アクセス方法

スオメンリンナ島へは、ヘルシンキ中心部からフェリーに乗って約10分です。

島へのフェリー乗り場は、マーケット広場(カウッパトリ)にあります。

フェリーはHSL(ヘルシンキ地域交通)の一部であり、トラムやバスなどと同じチケットが使えます。

スオメンリンナ島はヘルシンキ市街地と同じゾーンAに位置しています。Aゾーンのみのチケットはないため、乗船にはABゾーンのチケットが必要です。チケットは、乗船前にフェリー乗り場の自動販売機で購入できます。

ABゾーンのチケットは大人2.95ユーロ。一日券は9ユーロでした。

私が訪れた際、フェリーは20分間隔で運行していました。ヘルシンキへ戻るフェリーも同じ運行間隔でした。

フェリーは20分間隔で運行していました。(2024年5月)

見どころ

島全体が18世紀の軍事要塞として築かれ、全長約6kmにおよぶ要塞壁や100門を超える大砲が今もその姿をとどめており、まるで島全体が博物館のようです。

星形に設計された要塞は、当時の軍事戦術を反映した高度な構造で、大砲による攻撃に備え、また敵の侵入を死角なく防ぐように設計されていました。島全体が堅固な防御拠点として築かれていたのです。

現在もフィンランド海軍の基地が置かれていますが、島全台は緑あふれる丘や散策路が整備され、博物館や教会、カフェやレストランが点在する、のどかで平和な空間へと生まれ変わっています。

島に残る大砲
島に残る要塞の壁

島にはいくつかのミュージアムがあります。

スオメンリンナ博物館(Suomenlinna Museum)
スオメンリンナの歴史や要塞の構造、建設当時の生活、軍事的役割について紹介する博物館です。模型や映像資料があり、スオメンリンナの全体像を知るのに最適なスポットです。

エーレンスヴァルド博物館(Ehrensvärd Museum)
要塞建設の指揮をとったスウェーデンの軍人・建築家エーレンスヴァルドの邸宅を利用した小規模な博物館。彼の肖像画や当時の家具、美術品などが展示されています。夏季期間、および春季と秋季は週末限定でオープンしています。

潜水艦ヴェシッコ(Submarine Vesikko)
第二次世界大戦中にフィンランド海軍で実際に使用されていた潜水艦です。現在は内部を見学でき、当時の兵士たちの生活や装備を体験できます。夏季限定での営業です。

軍事博物館・マネーシ(Military Museum’s Manege)
フィンランドの軍事史について、1918年のフィンランド内戦、1939~1940年のロシアとの冬戦争、1941~1944年の継続戦争、1944~1945年のラップランド戦争という4つの戦争に関する展示が行われています。

上記の4つのミュージアムは、別記事で紹介したヘルシンキカードの無料施設の対象です。スオメンリンナ島でミュージアムを見てじっくりと観光したい場合はヘルシンキカードを購入するとお得かもしれません。

スオメンリンナ教会は1854年にロシア正教の駐屯地教会として建設され、フィンランド独立初期の1920年代に福音ルター派教会となりました。

スオメンリンナ教会

歴史

要塞が建造されたのは、フィンランドがまだスウェーデン王国の一部であった18世紀中頃のことです。

スウェーデンは、かつてバルト海一帯の覇権を握る大国でした。しかし、1700年から1721年にかけての大北方戦争でロシア帝国に敗れ、大国としての地位を失いました。その後もロシアとの対立が続き、1740年代前半にもロシアとの間にハット(党)戦争が勃発しました。

スウェーデンはこうしたロシアの脅威に備えるため、防衛体制の強化を進めました。こうして1748年にヘルシンキ沖に海上要塞の建設が始まり、要塞は1750年に「スウェーデンの要塞」を意味する「スヴェアボリ(Sveaborg)」と命名されました。

この要塞は、のちの第一次ロシア・スウェーデン戦争(1788〜1790年)では海軍基地として利用されました。しかし、1808年に始まった第二次ロシア・スウェーデン戦争でロシア軍に占領され、それ以降100年以上にわたってロシアの海軍基地として使われることになります。

やがて1917年、ロシア革命をきっかけにフィンランドは独立を果たします。翌1918年に要塞の名称は「フィンランドの要塞」を意味する「スオメンリンナ(Suomenlinna)」に改められました。フィンランド語で「スオミ(Suomi)」はフィンランドを意味することから、この名称には独立国家としての誇りとアイデンティティが込められています。

1991年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、現在では約800人の住民が暮らす歴史ある居住地としても知られています。スオメンリンナはこのような軍事的な背景を持ちながらも、今では平和と文化が共存する島として多くの人々に親しまれています。