現在でも使われている!アルルの円形闘技場

このページでは南フランス・アルルの円形闘技場について紹介します。

基本情報

南仏アルルの「円形闘技場」は、今から2000年以上前の紀元前1世紀末に建設されたと考えられています。ローマ時代の円形闘技場としてフランス最大規模であり、ヨーロッパでも特に保存状態の良い古代円形闘技場のひとつとして知られています。英語ではArles Amphitheatre、フランス語ではArènes d’Arlesです。

古代ローマ時代には剣闘士の戦いや猛獣狩りといった見せ物の舞台として使われました。当時の推定収容人数は2万人以上とされており、ローマ時代の他の円形闘技場と同じように観客は身分や社会的地位に応じて座る場所が決まっていました。中世になると要塞や住居として利用されましたが、19世紀に再び闘技場として修復され、現在でも闘牛やコンサートに使われています。

闘技場は楕円形をしており、その大きさは長径136メートル、短径107メートルです。周囲は高さ21mの2階建ての60のアーケードで取り囲まれています。入口の上にある塔からは円形闘技場の全体のみではなく、アルルの街やローヌ川を一望できます。

円形闘技場の入り口
円形闘技場から見たアルルの街。奥にはローヌ川も見ることができます。

1981年に世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(Arles, Roman and Romanesque Monuments)」のひとつとして登録されました。

闘技場への入場には私はアルル観光パスを使いました。円形闘技場単体の入場料を現地で確認し忘れましたが、ウェブサイトによると円形闘技場と古代劇場の両方に入場できるチケットを大人ひとり11ユーロで買えるようです。

歴史

円形闘技場の建造は古代ローマ時代の紀元1世紀末と推定されています。当時のアルルはローマ帝国の一部でした。

やがてローマ帝国の衰退と共に、円形闘技場はその役割を終えます。諸民族の流入によって南フランスは徐々に混乱に陥り、アルルの人々は円形闘技場の中へ避難し始め、アルルの中に「小都市」を形成しました。

住民の避難所となった円形闘技場は要塞へと姿を変えました。円形闘技場の内側には200以上の家屋や広場、さらには教会が建てられ、小さな村のようになっていたとされています。防衛のため2階アーチ上部に建てられた塔は、その当時の名残です。この新しい居住区の役割は18世紀後半まで続きました。

18世紀に入ると、ローマ時代の遺産に対する関心が高まり、アルルの円形闘技場も再評価されるようになりました。1800年代初頭に、フランス政府の主導で大規模な修復作業が行われ、現在まで続く闘技場へと再び姿を変えました。

かつての剣闘士の戦いに変わり、現在では主に闘牛が開催される場となっています。他にも演劇やコンサートなどの文化イベントも行われています。

ゴッホの「アルルの円形闘技場」

円形闘技場の入り口付近に展示されていたゴッホの「アルルの円形闘技場」の複製パネル

アルルはゴッホゆかりの地として有名であり、アルルの円形闘技場をモデルにした絵画も描かれています。

「アルルの円形闘技場(Les Arenes d’Arles)」は、ゴッホがゴーギャンと同居していた1888年末に描かれました。作品はロシアのエルミタージュ美術館(Hermitage Museum)に所蔵されています。

この作品はアルルの円形闘技場で行われた地元の伝統的な闘牛を描いたものです。アリーナ部分では闘牛が行われており、闘牛を観る観客や色彩豊かな服を着た人々によって、活気に満ちた情景が表現されています。

アクセス

最後に

アルルへ観光に行った際の様子をYoutubeにアップしていますので、興味があればご覧ください。