ヘルシンキ大聖堂:北欧の空に映えるシンボル

このページでは、フィンランド・ヘルシンキにある「ヘルシンキ大聖堂」と、その前に広がる「元老院広場」についてご紹介します。

大聖堂について

ヘルシンキ大聖堂(Helsinki Cathedral)は、フィンランド福音ルター派教会に属する大聖堂です。白を基調とした外観と、新古典主義様式の洗練されたデザインが特徴的です。

大聖堂はフィンランドがロシアの支配下にあった時期に建設されました。1852年に完成した当初は、当時のフィンランド大公でありロシア皇帝であったニコライ1世にちなんで「聖ニコラス教会」と呼ばれていました。1917年のフィンランドの独立を経て、1959年にヘルシンキ大聖堂に改称されました。

中央にそびえ立つ円形ドームは海抜80メートルを超えており、海路で到着する人々のランドマークとなっています。

白亜の美しい外観と青空とのコントラストが美しいです。
天気によって大聖堂の印象が大きく変わります。
運河クルーズで船の上で撮影した大聖堂。海路で到着する人々のランドマークになっていたのも納得です。

大聖堂の見どころ

十字のデザイン

大聖堂はシンメトリーなギリシャ十字形を基調としています。中央の大きなドームを中心に、外側に4つの小さなドームが配置されています。

建築様式は、対称性、バランス、柱、装飾などを特徴とする新古典主義、通称ネオクラシックです。

新古典主義様式は、18世紀中頃のヨーロッパで誕生した建築スタイルで、古代ギリシャ・ローマの建築に着想を得ています。柱やドームなどの古典的な要素を取り入れつつ、全体としては簡潔で調和の取れたデザインが特徴です。建物は対称性やバランスが重視され、バロックやロココのような華やかさな装飾ではなく、シンプルな装飾が用いられます。

設計を手掛けたのはドイツ出身の建築家エンゲルで、彼の死後はロシア出身の建築家ローマンがその仕事を引き継ぎました。

キリスト教会建築は、建物の平面を十字形に設計するのが伝統的な手法とされており、エンゲルもこの古典的な様式に従い、四方が等しいギリシャ十字の平面プランを採用しました。外側の4つのドームは、エンゲルの設計には含まれておらず、後にローマンによって付け加えられました。

世界最大級の12使徒像

大聖堂の4方向それぞれのポーチ屋根の上には、12使徒のブロンズ像が3体ずつ、計12体設置されています。

これらの彫像は、エンゲルの死後、屋上に追加されました。設置場所は、古代やルネサンス期の建築に倣って、支柱の上部にあるペディメントの上に配置されました。

12使徒は各ポーチに3体ずつ配置されています。

シンプルで荘厳な内装

入場料はなく、無料で内部を見学できます。

大聖堂はプロテスタントであるフィンランド福音ルター派の教会であるため、内部の装飾は控えめです。白を基調としたシンプルなカラーで統一されていますが、随所にあしらわれた金色の装飾が、落ち着いた中にも華やかさを添えています。

内部には5614本のパイプを使用した迫力あるパイプオルガンがあり、正面入り口上方のドームの内側に据えられています。ちなみに、大聖堂の正面入り口は元老院広場側ではなく、左側(西側)に位置しています。

正面入り口の上方にあるパイプオルガン

祭壇には、イエスの復活前に行われた埋葬の場面を描いた絵画が掲げられています。

この祭壇画は、ピラスターとペディメントからなるフレームに掛けられています。ペディメントの下には、聖書の4人の福音書記者を象徴する4つの月桂冠が描かれています。左右に配置されている2体の小さな天使の彫像は、ルター派で大事にされている言葉と音楽を表しています。

復活前のイエスの埋葬を描いた祭壇画

元老院広場

大聖堂の前に広がる「元老院広場」は、「セナート広場(Senate Square)」、フィンランド語の「セナーティントリ(Senaatintori)」としても知られています。

広場の中心には、 ロシア皇帝でありフィンランド大公でもあったアレクサンドル2世(Akelsandr II)の銅像があります。かつてフィンランドを支配していたロシアの君主が、街の象徴である大聖堂の正面に記念碑として称えられていることに驚く人も少なくありません。

アレクサンドル2世は、歴代のロシア皇帝の中でもフィンランドに対して寛容であったとされています。彼は、フィンランドの人々の声に耳を傾け、自治を拡大し、教育や経済の発展を積極的に支援しました。さらに、フィンランド語を初めて公用語として認め、フィンランド初の憲法を制定するなど、同国の国家形成に大きく貢献しました。

1881年に彼が暗殺されると、フィンランドでは深い哀悼の意が広がり、その功績に感謝と敬意を表し、1894年にこの記念碑が建てられました。アレクサンドル2世は、単なる支配者ではなく、フィンランド人の民族意識を啓発してくれた存在として、今も広場にその姿を残しています。

アレクサンドル2世の銅像は、衛兵服を着て1863年のフィンランド国会で演説をする姿で描かれています。

記念碑は、赤い御影石の台座の上に立つアレクサンドル2世の像と、4体のブロンズ像で構成されています。4体の像は、それぞれ法律(ラテン語でLex)、労働(Labor)、平和(Pax)、光(Lux)という4つの異なる美徳を表しています。

台座の南側(大聖堂の反対側)の法を象徴する像は、フィンランドの乙女です。この乙女は、エスプラナーディ公園にあるフィンランドの国民的詩人ルーネベリ(Johan Ludvig Runeberg)の記念碑の台座でも見ることができます。

エスプラナーディ公園にあるルーネベリの記念碑。逆光で見えにくいですが、台座の像がフィンランドの乙女です。

フィンランドの宗教について

フィンランドでは、「フィンランド福音ルター派教会」「フィンランド正教会」の二つが国教として認められています。そのうち、福音ルター派教会には約70%の国民が所属しています。

フィンランドの宗教的歴史は、隣国スウェーデンやロシアとの関わりと深く結びついています。キリスト教が伝わる以前、フィンランドでは多神教の自然崇拝が一般的でした。12世紀にスウェーデンの影響でカトリックが広まりました。その後、16世紀の宗教改革によりスウェーデンがルター派に改宗すると、フィンランドもそれに倣い、福音ルター派(ルーテル教会)が主流となりました。

福音ルター派教会は、16世紀初頭にドイツでマルティン・ルターによって始められた宗教改革運動を起源とする、プロテスタント系のキリスト教会です。「福音」は、イエス・キリストによる神の救いの知らせを意味し、「ルター派」という名称はルターの名に由来しています。

ルター派の教えは「信仰によってのみ人は救われる」という信念にあります。聖書の教えが信仰の基礎であり、カトリック教会が重視する善行や儀式よりも、個人の信仰と神の恵みに重きを置いています。

1809年にフィンランドはロシア帝国に編入され、ロシア正教の影響も見られるようになりましたが、フィンランド人の多くは引き続きルター派の信仰を維持しました。

一方、フィンランド正教会は、人口の約1%が所属するフィンランド第二の国教です。フィンランド正教会はロシア正教の影響を受けており、特にロシア帝国時代に広まりました。代表的な正教会の建築として、ヘルシンキのウスペンスキー大聖堂が挙げられます。

アクセス

ヘルシンキ中央駅から徒歩約10分です。大聖堂の公式サイトで、開館時間などを確認できます。